2015年1月31日土曜日

第8回九州沖縄地区子ども支援ネットワーク交流学習会要旨


1 主催者あいさつ

会長・小西清則

 憲法や教育基本法には「全ての人は教育を受ける権利を有する」と明記され、教育上差別されないとうたわれているが、義務教育での教科書が無償になったのは、私が中学校を卒業した後。生活の格差がますます開いていく現実の中で就学環境の充実がある程度されてきたが、今年4月に高校授業料の実質無償化が廃止され、新しい高校修学支援制度が始まった。

 教育を受ける当然の権利を行使するために、申請を行わなければならないと言う奇妙なしくみに。厳しい環境にある人ほど申請がスムーズにいかない。課税証明書を揃えることをあきらめたり、必要をしている人に支援策の情報がいかない。中等教育の無償化の動きに逆行している。私たちにはこの制度をひっくり返す力はないが、制度の不備を補完し改善や改革を目指す取り組みを進めなければならない。

 もっとも大切な事は教育の権利が保障されていない現実をどう見ていくかということ、当事者である子ども自身が現実をどう見ていくか、自分が抱えている問題の社会的な意味を考えるということ。
 2002年に高校奨学金のあり方が、育英主義から成績条項を設けない制度に変わった。これを必要とする人はたくさんいるが、奨学金の申請を躊躇させ、お上の支援に頼る事は良くないという意識がある。これを変えていくために、子ども自身や保護者に対する啓発や学習の取り組みが展開された。

 子どもたち自身や私たちの学びを広げていく取り組みをしなければならない。厳しい状況の子どもも人として尊重される社会を作っていくには、道は遠いと言う感がある。子どもたちや、その子どもたちに寄り添っている方々の学びの中身について、交流できたらと思っている。


2 基調提起

金城 馨

 沖縄は出生率が死亡率を上回る数少ない地域。社会全体で子どもたちを育んでいかなければならない。貧困率や非正規雇用率の高さなど家計の厳しい経済状況や、地域コミュニティーの弱体化などが明らかになっている。暮らしの基盤を危うくさせ育ちや学びに影響を与えている。

 子どもや親たちが抱え込まされている課題は、重層化し複合化している。子ども支援と家庭支援は車の両輪。現状を把握し課題解決の手だてを考える必要がある。限られたマンパワーや一つの機関だけで対処することには限界がある。既存の制度では十分に対応できない。様々な立場の人たちが連携し相互補完的にアプローチすることが必要。

 2008年の第2回交流学習会で、高校授業料減免制度の課題と改善案を実行委員会で話し合って県教育庁に要望した。入学式の前に制度の説明会を行うなど、周知をすることができた。
 当事者の意思を尊重しながら支援するには、共に考える人や共に取り組む機関につながる情報が必要。支援するもの同士がそれぞれの専門分野以外の情報を得ることで、支援のためのネットワークを作ることを目指したい。

 2009年に子ども支援ガイドブックの作成に取り組み、2010年に最初のガイドブックを完成させた。大牟田市のアイデアも共有しながら充実に努めている。2012年に沖縄県版、2013年に那覇市版を発行している。このガイドブックの利用を切り口に、互いの実践を交流しながら子ども支援のつながりとさらなる広がりを期待したい。



3 実践報告

「光をもとめて」
福岡県・中学校教諭

 私が勤務している中学校は1学年120人程度の規模。校区に2つの同和地区がある。一人ひとりの自己実現を支えるための同和教育や人権教育に取り組んでいる。現在の中学校に赴任して8年。担当した生徒が大学を卒業して教育実習で戻ってきたり、地域の人たちから生徒の近況を聞いたりしている。3年間だけでは感じることができなかった、子どもの育ちに関わっている責任の重さを改めて感じている。
 卒業生の中に、高校を中退したり、転々と職を変えている生徒がいる。自分が取り組んできた人権教育や同和教育は子どもにとってどうだったのか、進路保証の取り組みと人権学習がどう関連しているのかを意識しながら、自分の実践を振り返り取り組んでいる。

 去年の11月に福岡県同教のスタッフから、文部科学省が出した就学支援金制度についてのチラシを子どもたちや保護者が見て理解できると思うかと聞かれ、ガツンとやられたような気持ちに。自分もわからなかった。三者面談で子供たちにしっかり伝えていこうとプリント配布を決めた。支援金について十分に説明する時間がない。とにかく申請を出さなければいけないということ、申請書は進学先の高校で配布されるという事や、困ったことがあったら中学校に連絡して欲しいという事を各担任から伝えていった。3年生の担任だけでなく、全職員で校内研修会を開いて、問題点や暮らしの現状を見つめていくことを確認した。修学旅行の時期に合わせて、2年生の保護者にも説明した。

 同和地区から通っているある生徒は、母親の離婚を機に母親の故郷である校区に戻ってきた。兄弟が多く家事を協力しながらやっている女の子。中1の頃から保育士になりたいという希望を持っていた。1年生の時に弟がいる保育園を職場体験で訪問した。私立の高校で専門的に学びたいと考えていたが、兄弟が多いので公立高校に進学することを母親は希望していた。進学費用について母親と話し合いを重ね、両方の高校を受験し合格して、現在は公立高校に通っている。
申請に必要な書類を役所に行って取ってきてもらわなければならないが、母親も1馬力で頑張っているので仕事を簡単に休めない。卒業式の日は仕事を休んで準備をしたいということで、その日に役所に行って申請の手続きをすることができた。

 祖父母と兄弟5人で暮らしている生徒は、怠学気味で学力的に厳しいところもあった。中3の担任の先生から私立を専願しなければ厳しいと言われていた。そう言われていても勉強のほうに気持ちが向かなかった。校区の夏祭りでカラオケ大会に出て優勝し、地域のおじちゃんおばちゃんから上手いねと褒められたことで、音楽関係の勉強ができる私立高校に進学した。祖父母と話し合って、就学支援金は1.5倍の金額で決定された。制度の存在を知った祖父母にも安心してもらうことができた。

 自分が送り出した卒業生が退学や転学しているケースもある。転学していることを気づくことができないことも。担任に本人や高校から連絡がなく、たまたま会った妹から通信制の高校に転学したことを聞いて、旧担任と連絡を取って家庭訪問をして本人と話し合った。支援金のことを高校の先生方と協力して進めていくことが重要だと思った。中学高校の連携が必要。高校1年生で中退したケースでは、消化済みの9ヶ月分の残り、27ヶ月分の奨学金を転学先の高校で利用できることを保護者と話し合い、安心してもらうことができた。

 支援が必要なところにきちっとした情報を伝えるために、市同研でも、ミーティングを開いて話し合ってきた。保護者が行きそうな市役所の窓口に情報提供したり、福岡県教職員組合の支部でも情報共有したり、学習指導員との各種集会にも取り組んでいった。
 校区に児童養護施設がある中学校では、児童養護施設の職員さんにも説明をした。進学先の高校で申請書の「生計を維持している者」の欄を見たときに、生徒はどう思うか、いろんなことを考えるだろうなと言うことを話し合った。

 市全体では文科省のチラシを配って終わりという中学校もあった。2月に行った緊急学習会ではきちんとした取り組みをしなければならない、卒業式のときには時間をとって保護者に説明しようと話し合った。同研だよりを活用して、これを使いながら学習できるようにと資料作成をした。
 制度を見た時に感じた「気になるなあ」という感覚はとても大切だと思っている。いろんな課題を抱えた子どもたちがいるので、担任の先生を中心にしながら追跡してもらった。申請漏れは出なかったが、その後の6月の申請についても、担任と連絡を取って申請漏れがないように努めた。また高校とやりとりをしながら申請漏れがないように取り組んだ。

 同和教育運動とこの支援金制度に関わって、様々な団体や機関とやりとりをして、1人の子どもをイメージしながら制度を活用できるように動いていったのは、同和教育運動に関わったと言う実感を持てた。生徒自身が自分の生活を見つめながら、どう生きていくかを考えるときっかけになったのでは。先述の生徒は、差別をなくす保育士になりたいと勉強に取り組んでいる。責任の重さを感じながら実践を続けていきたいと考えている。


「就学支援金と就学給付金の手続きに係る学校現場の状況」
沖縄県・学校事務職

 今年は給付金支援金の担当にあたるのかなと思っていたら、今年度事務長から担当を命じられた。文部省の資料を見て来年度は大変なことになると事務職員間で覚悟していた。現在は申請を終えて給付金の決定を待っているところ。現在高校2年・3年生の生徒は授業料無償化制度により、所得要件や提出書類なしで全員無償化されているが、2014年4月からの入学生、1年に対しては所得要件・提出申請が必要。

 この制度のスタートが決まり、今年の3月に新入生オリエンテーションで保護者に申請書類を配布して説明会を持つまでに正味3ヶ月しかなく、文科省の資料を何回読んでも意味がわからなかった。わかりにくい制度を保護者にわかりやすく説明するための資料作りを急がなければと思った。取り組みが進んでいる福岡の九同教から資料提供を受けた。保護者の疑問に答えるために制度の理解に勤めて新入生オリエンテーションに臨んだ。1年生400人の中で提出期限までに提出がなかったのが80名。書類不備は200まで数えたが後は数えるのをやめた。把握できない。保護者も学校も制度に振り回された。県も苦労したと思う。都道府県知事会も4月のスタートには準備期間が足りず無理だと制度の開始を1年間延期するよう国に要請をしたが、拒否され強行施行された。
 オリエンテーションで説明をしても「支援金って何なの、意味がわからない、日本育英会との奨学金と間違えやすい」。うちは該当しないのでは、よくわからないから申請しない、という未申請につながった。書類不備などの混乱にもつながった。

 提出書類の「保護者の所得に関する項目」では、親権者が1人である場合その理由を書かなければならない。実際には予想以上に父子家庭が多く、理由が書かれておらず書類不備になるケースが多かった。「妻と死別したということまで書かなければならないのか」と黙ってしまう父親もいた。公平な審査をするためとは言っても、保護者に精神的な負担を強いており、理由の記載によって戸籍謄本等の提出書類が省略できるとは言っても、保護者からの抵抗の声が大きかった。

 事務職員としては未提出者対応、中でもこの理由枠の記入について一人一人保護者に電話をして伝えなければならない必要がある。なかなか連絡がとれなかったり、生徒を通して書類の修正をしてもらったり、生徒に届けてもらうことがスムーズにいかない。自分たちは対象外だと思って授業料を収め申請を行わなかったが、周りから「授業料を収めるのは高額所得世帯だけだよね」と聞かされ、授業料の請求が来るのはおかしいと思って書類を見直すと対象世帯だということがわかったケースもあり、学校事務では授業料の返納処理・支援金申請の作業の必要が生じた。再婚家庭では現在の配偶者との養子縁組がなされているかどうかの確認までしなければならない。

 里親世帯の場合は未成年後見者の選定がされているかどうかまで確認する必要がある。親子関係やプライベートに立ち入らなければならない。対応したケースでは、戸籍上の重要な問題を相談されたこともあった。

 保護者の収入状況によって世帯が3つに区分される。高額所得世帯では授業料を納付してもらわなければならないが、授業料の袋を持ち歩いていると生徒の間でも話題になる。窓口に授業料を収めた生徒の周りで、友人たちが「あなたはどうして授業料収めるの?私たちは収めてないよ」と話しはじめてちょっとした騒ぎになったことも。周りの気を引かないように淡々と対応した。その子も気まずそうにしていたが、「よく知らない。お母さんが持っていけと言ったから」とうまく切り抜けてくれた。生徒との間でも保護者の間でも「あの家は収めている」と噂になっている。世帯の状況があらわになってしまわないように配慮してほしい。

 親権者の正確な経済状況を判明させることができないケースもある。別居しているが離婚しておらず籍が残っている場合、戸籍謄本や住民票に別居の事実は載らない。別れた夫から養育費ももらっていないし、夫が確定申告をしていないため課税証明書の提出にも応じてもらえない。申請できず支援金や給付金の対象から漏れている例もある。一方で再婚した相手が高額所得者であっても、養子縁組がなされていないために唯一の親権者である妻の収入のみを申告せざるを得ず、支援金給付金が支給される対象になるケースもあった。公平な制度であるかどうかは事務職員の間でも疑問を持っている。

 学校事務室に業務量の増加という負担がかかっている。来年度以降も増加すると予想している。定時制や通信制の高校では在学期間の認定が困難なケースも。定時制・通信制高校では支給期間48ヶ月・在学中4回の給付金支給が制度上決まっているが、転学・退学を繰り返している場合、今までどの学校に何ヶ月いるか確認して、48ヶ月から他校での在学期間を引いて算定する作業が困難な場合が多い。

 授業料の復活により督促業務が必要。沖縄県では口座引き落としではなく現金を毎回窓口で収めてもらう必要がある。小学校の給食費も今時口座振替なのにと、保護者から苦情が来ることも。事務補助員の人件費など県内のすべての高校に配布しされた事務的経費は約2,500万円と試算している。書類の郵送費も必要。予算の配布はありがたいが、申請業務が終わった今の時期では予算消化に追われている。浮いた分を給付金に回してほしい。授業料を収める生徒は12%。費用対効果の面でも問題を感じている。申請書を簡略化できないか。

 4月と6月の2回の申請を1回にし、6月に出る最新の課税証明書により正確な世帯の収入を反映させたい。定時制通信制高校では在籍要件ではなく、単純に今いる学校で、所得要件のみで審査をするよう要望している。授業料の口座引き落としが実現しても、県の規則で納入のお知らせを配布しなければならない。配布業務の必要と、封筒をもらう生徒ともらわない生徒の差という問題が残る。10月1日に申請手続きが終わった給付金については実際の振り込みが1月ごろに行われるだろうと予測しているが、せめて1学期中、できればまとまった費用が必要な4月に支給して欲しい。来年度以降は全学年が制度の対象になる。業務の増大が見込まれ人員配置を要望している。

 現行制度を続ければ生徒・保護者・学校現場の混乱は今後も続くし、生徒間の軋轢も生じるだろうと懸念される。事務職員から最も多く聞かれた声は「所得制限の撤廃・全員無償化に戻すことでしか解消できない」。本当に支援を必要としている保護者や生徒に寄り添った制度では無い。


「働くこととお金」
沖縄県・県立学校教諭

 工業高校で進路指導部長をしている。子どもを育てて卒業・就職させるまでにどれくらいお金がかかるかという表を編集している時、高校生も保護者も必要なお金のことを自覚せずに生活しているのではないかと思った。卒業生の3分の2が就職組。就職後に必要なお金のことを学ばせて送りださないと、生活者になったときに困るだろうなと思った。

 4~5年前からキャリア教育と言うことが叫ばれるようになった。本来の意味は轍。自分が歩いてきた轍や足跡を振り返り、これから先どういう足跡を残して歩いていくかということを子どもたちに考えてもらうということがキャリア教育だ。最初はどんな職業につきたいか・どんな学校に行ってどんな資格を取るか、なりたい職業に必要なものを教えていたが、定年退職してから死ぬまでの間にどんな足跡を残していくか、ということもキャリア教育の範囲に入ると考えた。どんな人生を送りたいのか、どんな人間になりたいのかということを目標にしなければならないと私は考えている。

 全国でも社会保険加入率は高いとは言えないか、沖縄はその中でワースト1位。働く事は自分の生活だけではなく社会を支えるという事。多いクラスでは半数程度が1人親世帯。クラスに1人2人ぐらい保護者が祖父母と言う生徒もある。とても多いというわけではないが、家族や周囲の人たちに働かなくても何とかなる、無業者がいるという生徒もいる。

 手取りで10万円程度のアルバイトをしている生徒も多いので、求人票を見ても手取り額はアルバイトとたいして変わらないから就職しない、アルバイトのままでいいと平気で言う生徒も。アルバイトではいろんな保険に入れないということを知らない。キャリア教育の最終到達点である、自分の将来像をイメージすることができていない。保護者を敬う気持ちが薄い子も多い。勉強できないのは親のせい、しわの寄った服を着ているのは親がアイロンをかけてくれないから、という生徒に対して、高校生になったのだからアイロンぐらい自分でかけてこいと返したくなる。うまくいかないことや不満を親や周りのせいにしたがる。

 まず彼らが大好きなお金の話から始めようと考え、1年生7クラスを対象に、小さい頃からどのくらいお金が掛かってるかと言う表をA2サイズで印刷し、授業の前の週から教室に貼り出した。貼り出すときにはあえて説明をせず「見ておいてね」とだけいうようにした。君たちは親が嫌いなのかもしれないけど、君達を育てるために親はこれだけ働いてるんだよ、次はあなたたちじゃない?という話を振っておいて、LHR(学活)の時間、担任の先生に授業実践をしてもらった。担任の先生には資料を配って事前学習をしてもらい、「税金を納めることで社会を支えている。働けなくなったときにその人たちを支えるのは私達だよね」ということを強く念押しして欲しいとお願いした。

 授業を終えて、大人になるって大変だけど一生懸命やればそれなりに生活していけそうだなぁと言うイメージを持ってもらえた。保護者に授業の感想を書いて送ってみようかと生徒に書いてもらったものを、進路指導部からのお知らせ文書と一緒に保護者に配布した。一人暮らしに必要なお金を計算してもらうワークシートも生徒にやってもらった。感謝のハガキをもらった保護者からは、泣きそうになったという電話ももらった。

 働けるのに働かないと言う事は、社会参加を拒否している状態。社会をみんなで支えようという事を伝えたい。私は自立という言葉を、ひとりぼっちで立ちなさい、という意味では使わない。仲間がいる中で立って、困ったときには隣の人に寄りかかる・助けてほしいと声に出す・どこに繋がれば助けてもらえるかと言う情報を持っていること、それが自立だ。その中で余力があったら、寄りかかってくる人を支えようということを心の中に留めて欲しい。

 沖縄のゆるい言葉で”なんくるないさー(なんとかなるさ)”と言う言葉がある。努力もしないでなんくるないさーと言う生徒が多いので、お前はどれくらい頑張っているからなんくるないさーと言うのかとイラつくことがあって好きではなかった。本来上の句があり「誠そうけー、なんくるないさー」真実を尽くし心がけていれば、その後はうまく転がっていくという意味。ぼけっとしておいてなんくるないさーという意味では無い。他人にも自分にも親切丁寧に生きなさいと、普段から高校生に伝えている。


「地域のネットワークにかかわって」
NPO法人サポート支援センターゆめさき

 NPO法人になったのは5年前、それまでは個人でやっていた。教職を目指して1970年に琉球大学に入学した。母子家庭で貧困の中、母が洋裁をして食いつないでいた。1960年代から70年代は沖縄全体で仕事が無く、基地の中で裁縫や庭師、ベビーシッターなどの仕事をやっている人が多く、私の母もその1人だった。

 私の叔父は沖縄師範学校で屋良朝苗と同級生。首里で戦死し壕の前に埋められた。親戚が遺骨を探したがなかなか見つからない。壕の近くに建てられた琉球大学在学中、そのことが気になっていた。学生運動で授業が中断される中、翌年お金を貯めて本土を訪問した。復帰前の本土と沖縄を見て、その狭間で苦しんだ時期がある。日の丸を振って祖国復帰運動に取り組んだが、復帰後日の丸を振れなくなった。沖縄は復帰の時に底辺の学校を切り捨てた。

 いろいろな問題に気付いていたが、取り組む余裕がなかった。敗戦から復帰までの27年間は不登校と一緒。小学校や中学校の教育課程の中でつまずくと先に進めないように、私たちは穴をふさがずにやってきた。そこをどうするかは私たち世代の責任。私たちの同級生はみんな出てこい、出てきて一緒に頑張ろうよ、穴埋めをしようといいたい。同級生の定年退職した先生方と一緒に地域でやっていきたい。

 学校現場で疲れていた時に、不登校の子供たちと出会って癒された。子供たちに居場所を与えられた。厚生労働省の委託事業「若者自立塾」で、子どもたちとの出会いが私の考え方を変えた。国の政策の中では、ニートの若者は「怠け者・やる気がない・目標がなくて楽をしようとしている」と言うイメージであり、訓練をして3ヶ月では就労させてくれと言う注文だった。当時出された本の中では「弱い心の若者・社会的な過保護があった・国や親の財産、年金などを食い荒らしていく存在・社会の崩壊につながる爆弾」だと指摘された。活動拠点とするアパートをなかなか借りることができず、八重岳の山の上で合宿をした。

 障害者手帳を取得した・持っていた訓練生が36%、不登校の経験者が53%、母子家庭は44%、心療内科通院者は33%。この沖縄県の数字は全国のものとは違うだろうと思っていたが、母子世帯の率を除いてほぼ一緒だった。この時点で沖縄は本土と並び、本土化した。不登校の経験がそのままニートや引きこもりにつながっている。その芽は10代の早い時期、小学校4年5年生の時期だということがアンケートからわかった。早い時期に対応を始めなければ穴の中に落ちて潜ってしまう。大多数の若者達は怠けたくて怠けているのではない。

 いろいろな困難を持って通っている。不登校からニート・引きこもりにしないという気持ちで取り組んでいる。皆さんとネットワークでつながりたい。適応指導教室にはいれない、先生が会えないような子どもたちを扱っており、時間がかかる。高校入試などが子どもたちを引っ張り出す良いチャンス。
 平成24年から25年に沖縄市で中学校の不登校に関する調査をやった。不登校が学力要因によって起こっていないか・経済的な要因はないか・発達障害の要因はないかを調べた。不登校傾向のある子どもの平均成績評価は5段階評価の2、それ以外では3.8。学校に行かなくなったから学力が低いのか、もともと学力が低くて行かなくなったのかまでは追いきれていないが、学力と不登校は深くかかわっており悪循環が起こっていると考えている。要保護世帯のうち不登校傾向にあるのは20.3%。要保護世帯以外では3.1% 。リスクは7倍。発達障害でない生徒の不登校率は3.1%、発達障害の生徒の不登校率は32.6% 。リスクは10倍。私たち一NPOと現場をどうつないでいくか悩んで立ち上げたのが子ども若者支援センターだ。

 不登校には発達障害や要保護世帯であることなど複合的な問題が関わっている。支援センターを立ち上げて毎日相談を受けている。ひとつの機関だけでは解決できない。ネットワークを作って学校や民間を巻き込んで、横の串を入れてみんなでやるということが、センターを立ち上げたきっかけ。子どもたちは早い時期に不登校から抜け出して教育現場や社会に飛び出してほしい。

 沖縄は平均所得が低い県だと言われているが、1,000万円以上の高額所得者の数は全国10位以内に入っているという。誰がこのお金を手にしているのか。取り巻く状況が厳しい中、みんなでやるしかない。定年退職した先生方も、隣のおばさんおじさんも一緒に地域でやろうと考えている。ゲートボールをやっているおばあちゃん達もいて、沖縄にはまだ余力がある。学校やNPOだけではなくいろんな人がやる時代だと思う。

 文部科学省が開催した全国フリースクール等フォーラムに参加した際、大臣が最初から最後まで参加していたことに驚いた。会議で全国のフリースクール関係者と会ったが、自分のやっている取り組みはフリースクールではないと考えている。お金やマンパワー・知識が十分では無いフリースクールではどんなに頑張っても学校のようにはできない。学校現場に戻すのが一番。沖縄にはフリースクールやフリースペースはないと会議で話してきた。学校にしっかり予算を入れてもらって、私たちのNPOにも予算をもらって学校を支える体勢が要る。地域の高齢者とどうコラボしていくかを考える時代。地域のおじいちゃんおばあちゃんとネットワークを作っていきたい。